2015年07月22日

国際フランコフォニー学会2015年度参加報告

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カナダのウィニペグに行ってきた。聖ボニファス大学で開催された国際フランコフォニー学会に参加するためだ。モントリオール大学のジョジアス・セミュジャンガ教授、ベルリン自由大学ピーター・クラウス教授と共に、Transcultures et mondialité dans les littératures francophones africaines et antillaises.というテーマのラウンド・テーブルで発表を行った(6月8日)。私は、エメ・セゼールとエドゥアール・グリッサンにおけるランガージュについて発表。楽しかったし、実りある出会いだった。ジョジアス・セミュジャンガ教授の理論的含蓄に改めて感銘。下の短い仏文の後、日本ケベック学会会長小倉和子先生の報告を転載させていただいたので、読んでいただければ幸いです。(写真は小松祐子氏提供) 立花英裕

Rapport de Hidehiro Tachibana

J'ai participé au Congrès annuel du CIEF (Conseil international des Études francophones) 2015 qui a eu lieu à Winnipeg. J'ai fait la communication le 8 juin à une table ronde sur les transcultures avec Josias Sémujanga, Université de Montréal et Peter Klaus, Université libre de Berlin. Le président de la table ronde était Gilles Dupuis, Université de Montréal. Mon exposé portait sur la notion de langage chez Aimé Césaire et Édouard Glissant. Cela a été une rencontre bien fructueuse.
Ensuite, j'ai présidé à une table ronde sur "Écriture d'Asie au Québec". Y ont participé Kazuko Ogura, Université Rikkyo, Yuko Yamade, Université Meiji et Gilles Dupuis.

La photo est du tombe de Louis Riel qui se trouve tout près de l'Université Saint-Boniface (lieu du Congrès).


国際フランコフォニー学会 第29回世界大会 参加報告(文責:小倉和子)
Conseil International d’Études Francophones (CIÉF)
29e congrès mondial, 8-12 juin 2015, Winnipeg

大会ホームページ
http://cief.org/congres/2015/index.html

2015年6月8日(月)から12日(金)まで、カナダ・マニトバ州のウィニペグで国際フランコフォニー学会(CIÉF)第29回世界大会が開催された。エボラ出血熱の流行が懸念されたため開催地が当初予定されていたセネガルから変更になったのだが、ウィニペグはちょうど女子サッカー・ワールドカップの開催キ市の1つにもなっていたため宿泊施設が不足し、例年より規模を縮小せざるをえなかった。とはいえ、≪ Multi-Inter-Trans : la francophonie dans tous ses états ≫という主要テーマのもと、各国から約150名の会員が参加し、40のセッションが組まれたほか、講演やターブル・ロンドも多数行われ、連日活発な討論が繰り広げられた。AJEQ会員の中からは、Gilles DUPUIS、長谷川秀樹、Raoul HOLLAND、小松祐子、小倉和子、立花英裕、鳥羽美鈴、山出裕子(以上アルファベット順)の8名が参加した。

会場はサン=ボニファス大学。現会長のお膝元で、今もフランス語系住民が多数暮らしている同名の地区の中心部に位置する。近くには『束の間の幸福』(Bonheur d'occasion)や『わが心の子らよ』(Ces enfants de ma vie)の作家としても知られるガブリエル・ロワ(Gabrielle ROY, 1909-1983)の生家が博物館として公開されている。また、大学の庭や公園にはこの地域のメティスのリーダーだったルイ・リエル(Louis RIEL, 1844-1885)の像がいくつも建てられている。彼は、メティスの土地や文化を無視して進出してきた新カナダ政府にたいして自分たちの権利を主張し、臨時政府を樹立したが、1885年、政府への反逆罪でとらえられ、処刑された地元の英雄だ。
ウィニペグも、ケベック州以外のカナダのキ市の例にもれず、一歩町に出れば英語のほうが圧倒的に通じやすく、フランス語を母語とする若い世代の大半はバイリンガルにならざるをえないようだが、ではフランス語は消える運命にあるのかといえば、そうとも言い切れない。むしろ学習者自体は増えているらしい。間もなく創立200周年を迎えるというサン=ボニファス大学を中心として、フランス語での表現活動を振興するエネルギッシュな作家や芸術家たちが大勢いて、彼らが討論会やスペクタクルでCIÉFの大会を大いに盛り上げてくれた。期間中、ケベックや韓国ケベック学会からの参加者などとも親交を深めることができ、意義深い1週間だった。以下、簡単にAJEQ会員の各発表を振り返りたい。

まず、6月8日(月)午前中に、小松祐子が≪ Enseigner la Francophonie : innovations, technologies, stratégies – I ≫と題するセッションで≪ Faire vivre la francophonie au Japon : les activités autour de la ‘Journée de découverte de la francophonie’ ≫という発表を行った。6年前から東京で毎年開催されている「フランコフォニーを発見しよう」へ参加するために学生グループが行ったプロジェクト学習について、その概要を紹介し、言語的、文化的、社会的観点から意義を検討した。
同じく8日(月)の午後には、鳥羽美鈴が≪ L’anglicisme dans la francophonie et ailleurs : encore et toujours ≫というセッションで≪ Pour lutter contre l'anglicisme au Japon ≫と題する発表を行った。外来語は日本語において可視的であるとともに、その使用は特定の分野や若者世代に限られないことを事例を通して確認した。また、戦時中のように外来語を忌避した時期もあるが、日本において近年は殊に英語帝国主義の傾向が見られること、すなわち英語起源の外来語の安易な使用が拡大していることに注意を喚起した。
一方、同日行われた文学関係のセッション≪ Transculture et mondialité dans les littératures francophones africaines et antillaises ≫では、立花英裕が≪Le Langage et le transculturel chez Aimé Césaire et Édouard Glissant ≫と題する発表を行った。エメ・セゼール、エドゥアール・グリッサンの言語論・詩論を分析する中で、この対照的な2人の詩人の共通性を探り、フランス語とクレオール語が併存するマルティニク島のダイグロシア的文化状況における文学創作の問題を論じた。
また、≪ Écriture d'Asie au Québec : de l'interculturalisme à une littérature-monde ≫のセッションでは、小倉和子、山出裕子、Gilles Dupuisの3名が発表を行った。まず小倉は≪ Le symbolisme romanesque de Ying Chen : une lecture de La rive est loin ≫というタイトルのもと、イン・チェンの最新の小説La rive est loin(2013)を取り上げ、そこに繰り返し現れる象徴的負荷の高い語の分析を通して、「移住のエクリチュール」から出発したこの作家が、ミシェル・ルブリらのいう「世界文学」に近づきつつあることを示した。
次に山出は≪ L'influence de l'interculturalisme chez Kim Thúy ≫において、近年ケベックのさまざまな分野で論じられる「間文化主義」について、理論的特徴をまとめた上で、その文学に見られる影響を、アジア系の女性作家キム・チュイの最初の作品『小川』を例に分析した。
最後にDupuisは≪ Entre fiction et autofiction : les deux Kimchi de Ook Chung ≫において、ウーク・チョングが2001年に発表した『キムチ』の初版と、2013年『韓国三部作』の第3部に再録された同題の作品とを比較しつつ、教養小説とも自伝的小説ともとれる多様な性格を兼ね備えたこの作品の横断文化的詩学を明らかにした。
また、6月11日(木)には長谷川秀樹も≪ Le texte imagé ou l'image et le texte ≫のセッションで≪ "L'art corse" existe-t-il dans la sphère francophone ? Les BD corses ≫と題する発表を行ったが、こちらについては、発表者の意向により概要の紹介は控えさせていただく。

ウィニペグはカナダ中部の穀倉地帯の中心に位置する。飛行機の窓から地上を眺めるとどこまでも平坦な小麦畑が広がっているのがまことに印象的だった。
初夏のさわやかな陽射しの中、咲き乱れるライラックのむせかえるような香りを吸い込みながら、サン=ボニファス地区とダウンタウンの間を流れるレッド川沿いを散策すると、200年以上昔、ルイ・リエルの祖母にあたるマリー=アンヌ・ガブリー(Marie-Anne GABOURY, 1780-1875)が白人女性としてはじめてケベックからこの地に到着した頃のことに思いを馳せずにはいられなかった。
来年の大会は、今年開催できなかったダカールで≪ Autour de l’arbre à palabres ≫という主要テーマのもとに行われることが決定している。
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ダニー・ラフェリエール、アカデミー・フランセーズ会員に就任

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2013年12月にダニー・ラフェリエールがアカデミー・フランセーズ会員に選挙によって選出されたことは、世界を駆けめぐる大きなニュースになった。その彼が、いよいよアカデミー・フランセーズ会員に就任する。
それに先立ち、2015年5月26日、パリのホテル・ド・ヴィルで剣の授与式が行われた。正式の就任式は5月27日(木)にアカデミー・フランセーズで執り行われている。この作家のアカデミー・フランセーズ就任は、長い伝統を守ってきたアカデミー・フランセーズの言語観に変化が生じたことを物語っている。フランス文学とフランス語にだいぶ以前から起こっていた地殼変動が地表に現れたと言えるだろう。
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「ジェロニモたちの偶景」のお知らせ

今福龍太主宰「ジェロニモたちの偶景」
日程:2015.8.7(金)17:30~20:00 ※開場17:00
¥2000(1ドリンク+特別冊子付き) 限定50名(予約はお早めに)
馬喰町ART+EAT

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不意に目のまえに降り立ったことば。その影にある思考のゆたかな彷徨いの痕跡。ことばの「かぼそい水の流れ」を手がかりに、私たちの日々の思念と行動は紡がれてゆく。たちはだかる壁に批判の穴を穿つ叛乱の小さな鑿の音がきこえてくる。今福龍太『ジェロニモたちの方舟』(岩波書店刊)を霊感源として紡ぎだされ、偶然と即興を頼りにそれぞれの場所へと自在に伸びていった、六つの景色と物語・・・・・

<ストーリーテラー>
叛史から/真島一郎(人類学) 世界から/中山智香子(社会思想史)
アメリカから/水島英己(詩人) カリブ海から/中村隆之(カリブ海文学)
原子から/竹田信平(アーティスト) 呪言から/新井高子(詩人)

ジェロニモの遺言/今福龍太(批評家)

もはやアメリカにおいて、原初的叛乱者としてのジェロニモ直系の民族的系譜は途絶えたかもしれない。国家の同化圧力は、あまりにもみごとに、アメリカン・イデオロギーにたいする本質的な叛乱の芽を、摘み取ってきたからである。国家への従順と忠誠を条件に、庇護と自由をあたえるという欺瞞的な人民管理政策は、経済的な懐柔と、テクノロジーによる監視技術の進展によって、ますます巧妙さを増しているともいえる。だが本書が群島的な旅のなかで考察してきたように、アメリカなる原理がグローバルな波に乗って世界を覆い尽くすほど、かえってジェロニモの情念は無数の場所に散布され、流亡し、あらたな抵抗の拠点を築いてきたのである。だからこそ信じねばならない。方舟にのって洪水を逃れたジェロニモたちが、その流謫の境涯のなかで、原初的叛乱を企てる未来の子供たちの体内に、青い血流をふたたび溢れさせるであろうことを。
    ── 今福龍太 『ジェロニモたちの方舟』(岩波書店、2015)より

出演者が語り部として次々と登場し、『ジェロニモたちの方舟』に触発された物語を語ります。
最後に著者がそれらに音楽とチャントで応答します。
未知の形式による“ことばのキャンプファイア”にどうぞご参集ください!
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2015年07月19日

conférence d'Abdourahman Ali Waberi

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アブドゥラマン・アリ・ワベリ講演会

2015年5月13日(水)、日本女子大学の高頭麻子先生がアブドゥラマン・アリ・ワベリの講演会を開催した。日本女子大の学生さんが多数来ていて、ワベリ氏に活発な質問をしていた。
Le 13 mai 2015, Abdourahman Ali Waberi est venu à l'Université de jeunes filles du Japon (Nihon Joshi Daigaku). C'est la professeure Mako Takato qui l'a invité au sein de son université. Il s'est révélé que M. Waberi était quelqu'un qui savait écouter de jeunes gens attentivement.
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2015年07月11日

Fromager qui a survécu à l'éruption de la montagne Pelée

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Le framager qui a survécu à l'éruption de la montagne Pelée
Hidehiro Tachibana

Un botaniste français m’a amené à Saint-Pierre pour me faire voir un grand fromager. C’est un arbre qu’admirait Aimé Césaire. Dans la préface de Nègre je suis, nègre je resterai, Françoise Vergès écrit ceci :

Césaire me montra ce qui restait du théâtre, puis demanda à son chauffeur de s’engager sur la route de Fonds-Saint-Denis. Il fit soudain signe de s’arrêter à son chauffeur, dans un tournant où un magnifique fromager étendait ses branches. L’éruption de 1902 avait calciné son tronc, et on l’avait jugé perdu. Cependant, cinquant ans plus tard, des bourgeons étaient apparus, et depuis il n’avait cessé de se développer. Césaire venait souvent admirer cet arbre, vieux de plus d’un sciècle : non seulement il avait survécu à une catastrophe, mais il désignait aussi, par son renouveau, le dédain de la nature pour les catastrophes. Césaire aimait fréquenter ces endroits et rêver, écrire des fragments de poèmes. Rêver surtout. (pp.12-13)
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2015年06月21日

次回輪読会のお知らせ

次回のグリッサン輪読会のお知らせです。

日時:7月20日(月)17:00〜18:00〜
場所:早稲田大学8号館立花英裕研究室

テクストはLa cohée du Lamentin p.229〜です。
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2015年06月03日

次回輪読会のお知らせ

次回のグリッサン輪読会のお知らせです。

日時:6月15日(月)18:00〜
場所:早稲田大学8号館立花英裕研究室

テクストはp.223〜です。
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2015年04月02日

パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』の書評

中村隆之さんが、月刊誌『フランス』4月号(2015年)に、パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(関口涼子訳)の書評を寄せました。
posted by CEJLF at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 会員の活動情報

2015年02月27日

次回輪読会のお知らせ

日時:3月17日(火)17:00〜
場所:大東文化会館 K-403
範囲:Cohée du Lamantin, p. 218のA propos d'Antonio Tabucchiの章より

前回、ヴァレリオ・アダミ論を終え、アントニオ・タブッキについての短い章に入りました。
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2015年02月23日

アシア・ジェバールの訃報

 2015年2月6日、アシア・ジェバールが亡くなった。邦訳に『愛、ファンタジア』(石川清子訳、みすず書房)、『墓のない女』(持田明子、藤原書店)がある。以下に、webに出たEl Watan紙の記事を紹介する。

・El Watan紙の記事より。
 アシア・ジェバールは、1936年6月30日シェルシェルCherchell生れの世界的作家である。作品として小説、詩、評論があり、23カ国語に翻訳されている。演劇作品も書き、映画制作にも手を染めた。2005年6月16日にアカデミー・フランセーズ会員に選出された。アシア・ジェバールは、身体的には生地から遠いところにいたが、最期までアルジェリアを気づかい、強い愛着を抱いていた。なによりも彼女の作品が、その雄弁な証となっている。
 Nadjia Bouzeghrane, El Watan, le 08.02.15. 10h00.

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 アシア・ジェバールの訃報が反響を呼んでいる。彼女の作品が20以上の言語に翻訳されていることから驚くにあたらないとしても、アルジェリアのメディアがこぞって報じたことは時代の推移を感じさせる。関連記事や匿名の読者から寄せられたコメントを読むと、大作家の死去を悼むというよりは、道半ばにして倒れた人への哀惜、彼女の困難な位置への言及が目立つ。
 図式的な反植民地主義やポストコロニアリズムの視点からは、彼女の文学は捕えにくいかもしれない。だが、反植民地主義闘争以後の現代社会と人間のあり方に正面から取り組んだ文学がここにある。アカデミー・フランセーズ会員という制度的には栄誉ある地位に就いたとはいえ、アルジェリアを去らなければならなかった知識人の代表的な一人だった。
 CEJLFの会報4号には、Yahia Belaskri のインタヴューが掲載されているが、Belaskriの経歴も参考になるだろう。
 マルティニック島在住の亡命アルジェリア人から、反響をまとめたファイルが送られてきたので、その一部を以下に掲載する。

・El Watan紙の記事より。
 アシア・ジェバールはもういない。数年前より、彼女の病気のことが文学やジャーナリズムの関係者の間で囁かれていた。それを公表する人は誰もいなかった。彼女への配慮からだが、それはまた、返す言葉がなかったからでもある。あれだけ情熱に燃え、記憶に係わってきた作家がアルツハイマー病に捕えられたことは、ギリシャ悲劇の次元に達している。〔...〕

 2005年のアカデミー・フランセーズ会員選出のとき、元文化大臣クハリーダ・トゥミKhalida Toumiの声明と2,3の新聞記事の他には、公的な追悼の言葉がなかったことを
指摘する人たちがいた。まるで、アルジェリアの女性作家が旧宗主国の制度的機関に取り込まれたことが、なんらかの恥辱であるかのようだった。作家のワシニ・アルアラジWaciny Laredjiは次のように発言していた。
「国家的誇りにすべきことだ。公的な機関、まずは国家元首が反応すべきだろう。まるで平凡なことであるかのようにニュースを取り扱う国営テレビに私は唖然とした」(Jeune Afrique, 27 juin 2005)
 Ameziane Farhani, El Watan, le 08.02.15. 10h00.

・web上にアップされた匿名のコメント
 私たちの国に、嘘でもいいから文化、民主主義、人間性のようなものがあるならば、博覧強記の人アシア・ジェバールは、自国において、哲学者として、指導的な思想家として作家的才能を活かし、そしてまた埋葬されたことだろう。如何せん、今日、身の安全のために国を離れなければならなかったのは彼女だけではない。不幸なことに、彼女のように数多くの人たちが地平線の向こうへと出発し、誰の目にも明らかな、この国の統治者たちの理不尽から身を守らなければならなかった。
 オランド大統領は、アカデミー・フランセーズ会員である偉大な女性を追悼するにあたって、フランス文化の大きな損失だと述べていた。私としては、むしろ彼女の国、アルジェリア全体にとっての文化的損失だと言いたい。たとえ、彼女がシュヌアChenouaの人、つまり、北アフリカ人がすべてそうであるようにベルベル人だとしてもである。またもや、頭脳が一つ、私たちのもとを去った。

・El Watan紙に掲載された記事より。
 映画において、アシア・ジェバールはアルジェリアの女性に言葉を与えたかった。「私は、観光映画を作りたかったわけではありません。もっと知りたいと言う外国人のためでもありません。〔...〕 映像それ自体が、反抗の潜在的な力となりうるのです。内側からのイメージを見せたかったわけではありません。それなら、私には目新しくありません。私は外側のイメージを見せたかったのです。」
 Nadjia Bouzeghrane, El Watan, le 08.02.15. 10h00.

・アカデミー・フランセーズ会員就任時のアシア・ジェバールの演説より
 フランス帝国時代の北アフリカは、イギリス、ポルトガル、ベルギーの植民地だったアフリカの他地域と同様に、一世紀半にわたって、その自然の富を奪われ、社会的基盤を破壊されました。そして、アルジェリアの場合、そのアイデンティに関わる二つの言語、長い歴史をもつベルベル語とアラブ語が教育から排除されていました。アラビア語については、その当時、私にとってですが、コーランの言葉を通してしか、その詩的美質に触れることができませんでした。
 ご列席の皆さま、私たちの祖先が、少なくても4世代の間、日々身をもって生きた植民地体制は、巨大な傷口でした。最近、軽々しくも、そしてまた選挙の浅はかな胸算用によってその記憶の傷口を開いた人たちがいました。すでに1950年に『植民地主義論』によって、偉大な詩人エメ・セゼールは力強い言葉の息吹と共に示していたのです。アフリカやアジアでの植民地戦争がいかにヨーロッパを、彼の言葉によれば「非文明化」し、「野蛮化」したかを。

・ブーテフリカ大統領の追悼の言葉
 アブデルアズィーズ・ブーテフリカ大統領が、先週金曜日亡くなったアルジェリアの小説家アシア・ジェバールの家族に弔意の親書を送った。その中で、大統領は、故人が優雅に且つ雄弁にアルジェリアのイメージを体現したと述べた。
「私は、深い悲しみと共に、世界的に著名なアルジェリアの小説家アシア・ジェバール、本名ファーティマ・ゾフラ・イマライエンヌの逝去を知りました。後に残された彼女の長い経歴は、成功に隈取られたもので、彼女はペンによって芸術と文学に高貴さを与え、その頂点を極めました。
「この才能に溢れた作家は、息が長く、豊穣な想像力を持ち、果敢で熱情的でしたが、グラヤGourayaで子供時代を送り、コーラン学舎、そして村のコレージュで学んでいます。彼女は見事に節目節目を乗り越え、バカロレアを取得するまでに至りました。粘り強く、旺盛な知識欲を持った彼女はその向上心を捨てることなく。その断固とした意志を武器として、立ちふさがる障害を進路から取り除くことによって、世界に、自由で、強く、尊敬に値するアルジェリア女性を示したのです」と、親書に書かれている。
 ALGERIE PRESSE SERVICE, le lundi, 09 fevrier 2015 09:37 (記事の著者は未詳)
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